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2019.05.02
近況
シンギュラリティ
今は、シンギュラリティsingularityと言っても、少数の人工知能に携わる方がわかる程度であ
る。
小学6年生100人に問うても、1〜2人くらいがわかっていれば良いくらいかと思う。
しかし、あと10年もしたら、ほとんどの小学生が分かっていると思う。
シンギュラリティsingularityとは、日本語訳では技術的特異点というが、
人工知能が、さらに優れた人工知能を生み出し人間を完全に凌駕した高度な知性が生み出される点である。
技術は指数関数的な伸びを示し、あと10年で人工知能は人間を超え、30年もすると人間を凌駕したシンギュラリティに到達すると考えられている。
いつも話題になるのが、映画マトリックスやターミネーターの世界だが、そうならないようにすれば良いのではとシンプルに考えている。
道具は、使い手次第である。
車も安全運転ならば良い道具、しかし凶器である。自転車もしかりである。昨年、往診の際に自転車(ママチャリ)に乗った方に、ぶつけられ右眼の横を6針縫う羽目になった。このときは、本当に怖かったし、まぶたから出血もし、とてつもなく痛かった。
しかし、自分は医師であるので自分よりも相手の救助に全力をあげ相手はかすり傷もなく無事ですんだ。
現代人は、とくに日本人は勤勉であるので、知らずに働きすぎとなる。すると、産業医面談が待っている。
労働は、奴隷のすることだという考えが西洋では一般的だと、以前、アメリカの友人から聞いたことがある。
私は、書類作成と整理、診察、スタッフ教育、研鑽、夜間でも休日でも往診をするという生活をしているが、
結果、平均して1日14〜15時間は働くことになる。
1日のうちのほとんどが労働時間である。
すると、彼からすれば、私は奴隷となってしまうし、大学病院でがんばっている同胞も奴隷ということになるだろう。
それも良いだろうとも思うが、これから単純作業は、どんどん人工知能がやってくれるであろう。
過重労働のない世の中が早くくればよいと思う。
そして、余った時間で、人と人との関わり合いを大切に、お茶を点てるときの心得のように相手を慮る余裕がでてくる。
1日中、時間を持て余していた平安時代の貴族よろしく的な時間を自分の良いように使える時代になるだろうと勝手に考えている。
人工知能は冷たい時代の到来を想起させるかもしれないが、むしろ人の温かさをより大切にできる道具になってくれるのだと期待している。